2011年3月21日月曜日

善意の難しさ

今まさに被災地で頑張っている被災された方、救助に関わっている方々、ありがとうございます。
被災されて、命をつなぐのにいっぱいの状況で、SOSを発信するのもとても大変なことです。
被災地の人からの要望に応え、いろいろと対応するのは大変なことです。
双方ともに頭が下がります。

今回の地震は激甚災害と呼ばれるほど大きいものです。
それだけに自分も何かしたい!と思う方も多くおられると思います。
もちろん被災地からの要望に応えられるスキルをお持ちの方、ぜひご協力を御願いしたいです。
一方で、必要なものが必要な人に届くように。
そしてボランティア被災にならないように。
一日でも早い救済のためには被災地以外でも、各自が冷静になることが必要と思います。

私自身は今回の東北太平洋大震災だったり、比較に持ち出される阪神大震災の被災者ではありません。
旦那や家族、親戚、そして友人、同僚にたまたまそうした阪神大震災の被災経験を持つ人が多いだけの経験ナシのものです。
彼らから面と向かって言われたことは一度も無いですが、日ごろの会話やつきあいから言葉以外で学んだものがあります。
それを文字として記すと、誤解を招くかもしれません。
それでも、何かの際にふと思い出してもらえればとおもいます。

・善意はよいものです。
・善意には送る側と受け取る側がいます。
・善意を受け取るには力が必要です。
・善意がうまく機能するためには、受け取る側に負担の少ない送り方が重要です。

今、被災地の方たちは受け取るまでの力を持つことが難しいです。
頼んでいることはしてもらいたいと痛切に願っています。
助けの手が伸べられるのをありがたいと感じていると思います。
しかし頼んでいないこと、まったく想定外のことについて、受け止められるだけの体力はまだ戻っていません。
混乱の中にあります。
被災地は被災者の方たちのふるさとであり、家です。

被災地のために何かしたい!という善意を否定しません。私も持っています。
ボランティアで赴こうという気持も、善意が根本にあるから沸いてくるものです。
プロのもと、スキルのある方が行うのは今まさしく望まれていることです。
スキルとは医療の資格などだけではなく、全体の動きのなかですべきことを考えて、行動できること。自分自身の食事や睡眠といった自己管理の準備をし、それを実行出来ること。
全体と協力のできる力のことです。

被災地に届いた支援物資は被災地の方々のためのものです。
自分の分は自分で用意する必要があります。
自分の面倒を見られないのであれば、被災者の数が増えることにほかなりません。

全員にスキルがあるわけではありませんし、応援の方法は赴くだけではないはずです。

スキルのない私でも、できることがあります。
それは落ち着いて、普段の生活をするということ。
東日本に住んでいるなら節電をする。
日本赤十字などの専門団体に募金をする。
必要とされている物資を買い占めない。
必要とされる品について家に余剰があったら、自治体など専門の窓口に寄付をしてまとめてもって行ってもらう。(個々に送るより、ガソリンも節約されます)
復興は1年以上かかるので、そうしたことを継続して行う。

善意は尊いですが、こんな可能性も孕むということを、記憶の片隅にでも入れてもらえればと思います。
杞憂を記すことで、不快な思いをされる方がいらっしゃいましたら、お詫び申し上げます。

被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ~僕の浅はかな経験談~

阪神大震災で被災した現西宮市議の現地ボランティアに関するブログ

そしてこれらを読んで、深く考えている日記。

思うこといろいろ②

読んでくれてありがとう。
Thanks for reading.

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